BZ Mission Trip Report 2
4月18日 アウシュビッツ (オシフィエンチム)
3年前、このツアーのお話が来た時はイエスラエル行きだけの予定でした。
その時、主催者の一人に「今回はポーランドには行かないのですか?」と半ば個人的願いを込めて質問しましたが、コロナで延期になった2023年、なんとポーランドも行くことに!
そして、いよいよアウシュビッツ訪問。
当日は、ユダヤ人が世界各国から多くの人が集まっていました。テレビ撮影も入ってました。色々な国の人とバッチやリストバンドなど、お互いに記念グッズを交換。
入り口に掲げられた「ARBEIT MACHT FREI」。これは「働けば自由になる」という意味ですが、実際は、全く逆で「労働による絶滅」大量虐殺でした。Bが逆さなのは、皮肉を込められているからだと言われています。
かつて収容所だった館内には、収容される前に没収された遺品の数々。
眼鏡、義足、お鍋などが展示されています。まさか殺されると思わず、普通に生活できると思い、生活必需品を持ち込みました。
わら、または布団のような敷物、プライベートが全くないトイレ、一つのベットに二人づつ寝たと言う狭い2段ベッド。トイレに行くことも許されず汚物は垂れ流し状態だったそうです。
収容された人たちの写真。
ナチスのアーリア人至上主義と優生思想から、ユダヤ人以外にもドイツ人犯罪者、同性愛者、障害者などが収容されていましたが、その大半はユダヤ人でした。
彼らは、衣服を剥ぎ取られ、髪を剃られ、番号で呼ばれて人間の尊厳を徹底的に奪われ、極限まで働かされ、人体実験にもされ、拷問され、飢え、平均毎日6000人は処刑されていたと言います。
今回の為にスロバキアから来られた、プロジェクト ティクバ(希望の架け橋)のスタン牧師が、色々な話しをしてくれたのですが、水のはった四角いプールのようなものの説明をしてくれました。
これはドイツ軍のプロパガンダ用として作られた。
国外にこの収容所が快適で人権を尊重していることを証明するために、収容者のプールとして公開したが、実際は武器を収容していた。
水が出てくる配水口には一つの象徴的なマーク。
これは、一見、ヒトラーが首謀者となり企てたようだが、悪魔が人間を使い、ユダヤ人を撲滅させようと働いた霊的な戦いだと、聖書から語ってくれました。
アウシュビッツの所長ルドルフ・ヘスは自宅とガス室が見えるちょうど真ん中の場所で絞首刑となりました。
ヒトラーは最後は自殺しています。彼らのいったいなんのために生きていたのでしょうか?
悪魔の最高傑作と言われているこのホロコースト。600万人のユダヤ人が殺害されました。 この歴史を忘れてはならない。
そして自分自身の生活から切り離して考えてはいけないと、実感しています。
アウシュビッツ内で、涙と笑いを交えたピクニックランチ。
その後は、死から命へ、いよいよ行進です。
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