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  • 執筆者の写真Miwa Shioya 塩谷美和's Blog

サマー・オブ・ソウル〜Summer of Soul (...Or, When the Revolution Could Not Be Televised)




ハーレム・カルチュラル・フェスティバル。50年の時を経て、今の時代に日の目を見た、予想以上に貴重な映像です!


ブラックパンサー党がコンサート警備で入っていると言うくだりから、あれ?と思いましたが、案の定、ただの音楽映画ではなかったです。

ジェシー・ジャクソンをはじめ、黒人差別問題と人権活動に携わったミュージシャン達が自分達の意見を言葉で、音楽で発信している。彼らの呼称が”ニグロ”から”ブラック”にかわり「ブラックイズビューティフル」「ブラックパワー」など、自分達の自由とアイデンティティーを必死に求めたドキュメンタリー活動映画になっていました!



2時間のライブ映画は長いな、と思いながら見始めたのですが、”月に行く金があるなら黒人の貧困問題に金を使って欲しい”と言うくだりは、レベルが違いすぎますが今のコロナとオリンピック問題を感じさせましたし、いつの時代でも本当に少数ですが、差別問題に協力する白人、今回はジョン・リンゼイ(NY市長)のような人も登場し、また南アフリカアパルトヘイトベトナム戦争など、当時のアメリカだけではなく、様々な視点から観れたあっという間の2時間でした。





ウッドストックと同じ年に開催されたこともあり、黒いウッドストックとも呼ばれたようですが、1994年に開催されたウッドストックに行ったこと少し思い出しましたね。写真は私のカメラで撮ったウッドストック1994。





また数年前に、この開催場所であるMt Morris Park、現在はMarcus Garvey Parkマーカスハーヴェイーパークに行きました。そこから歩いて5分の所、映画中盤あたりに出てきたEast Harlem(”スパニッシュ・ハーレム”字幕にされていませんでした)に友人の家に2週間滞在し、公園の目の前にある教会を訪問していたので、周りの環境や空気感を思い出し、映画を少し立体的に捉えることもできました。




BBキングやスティービー・ワンダー、スライ&ファミリーストーン、グラディス・ナイトなどの昔から大好きなアーティスト達のライブを映像で観れたのはとっても貴重でした。

話はちょっと外れますが、10年以上前、LAのウエスト・エンジェルス・教会の礼拝に参加しましたが、スティービー・ワンダーが礼拝に出席していました。思い切って話かけ、ハグしてもらったことがあります(ちょっとミーハー話し)思ったより背が高くて大柄でした。



話は戻って、、、映画の中で特に、マヘリヤ・ジャクソンとニナ・シモンの登場が対照的で印象的でした。

マヘリヤは、いくつか彼女が歌っている映像を観たことがあったのですが、これほど振り乱した叫びを連発し歌っている姿を見るのは初めてです。歯の状態が見えるくらいのアップと大きな口を開けてのシャウト。マヘリヤと言えば、ゴスペルの女王と言われ、その独特の深い声でゴスペルをエンターテイメントとして世界に広めましたが、セキュラー音楽に行くことなく、最後までゴスペルだけを歌い続けた人です。公民権運動にも参加し、無抵抗無暴力主義を貫いたマーティン・ルーサー・キングJrが夜中、彼女に電話をかけて「Precious Lord Take my hand」を電話越しで歌ってもらった、と言うのは有名な話です。その同じ曲を、マーティンが暗殺された翌年のこのコンサートで歌うことになるとは思わなかったでしょう。銃や剣ではなく、歌と叫びで神と人に訴えているような姿にゴスペルを感じ泣きました。



対照的に、この映画でFirst lady of Soul と紹介されていたニナ・シモン。アレサがソウルの女王、と呼ばれていますが、ニナはアレサのようなエンターテイメントではなく、むしろ社会のリアリティを中心に歌い伝えてきた活動家です。最後に詩を読み上げましたが、内容は少し過激なものでした。

同じ状況の中で、違う思想や信仰を持つ音楽家達がコンサートで一つになることができたのは、”ブラック”という歴史を持つ1つの民族、アイデンティティーと、逆に人種を超え一人の人間として互いの尊重しあったから。また、そんなこと言ってられないほど、大変な時代だったからなのかなと感じます。



最後に、エドウィン・ホーキンス師とLove Center ChoirがO Happy dayで出演していました。日本人にとってはこのシーンが一番親しみを感じるのではないでしょうか?オークランドで毎年行われていたMusic & Arts Seminarに何度も参加し、エドウィン師、ウォルター師日本来日の時にもアテンドをしたこともあり、画中でエドウィンが話していたことは本人達から直接聞いたことがあります(写真はオークランドのLove Center Churchにて。亡くなる一年半前)

当時の古い伝統主義の教会文化によって若者が教会離れをしていた。そんな若者達に対して、彼らはJesusを伝えるために教会の外に出て行き、バンドスタイルで、ローブを脱ぎ、おしゃれなファッションでゴスペルを歌って伝えた。しかし教会は新しい活動を受け入れられず、ウォルターが自身で教会を立ち上げた。今ではオールドスクール代表のエドウィン達の賛美は、昔は新しすぎて歌で教会からは受け入れられなかった。音楽で社会を変革し続けてきたのと同時に、ゴスペルシンガー達は、教会の伝統や閉鎖的な考えに対して賛美で革命を起こしていました。


「アメリカの黒人が唯一自分を表現できる場所は音楽と教会での祈り」と、映画の中で、かつてこのコンサートに参加した一人が言っていましたが、彼らの礼拝は、日々の苦しみ中でも主を信じて聖書から離れず、歌い、シャウトし、踊り、時には倒れて、解放されて礼拝します。

まさにこの二つが重なっているゴスペルミュージックが、私がそうだったように、日本人の様々な解放、救いのきっかけになると私は信じたいです。


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